2016年11月18日

個展間近。個展についてなど…

もう18日!個展間近になってきました。

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この作品はまだ制作途中です⇧
会場で是非完成した作品をご覧いただきたいと思います。
今回の個展のテーマ「軽さと重さ」ですが、「存在の耐えられない軽さ」(著:ミラン・クンデラ)の「第7部 カレーニンの微笑」より、「微笑」と作品タイトルをつけようと考えています。(←訂正しました12月2日。)
「カレーニンの微笑」というタイトルをすでに他の作品につけて、三越さんに送っていました〜σ^_^;
もちろん、その作品も出品します(^_^)よろしくお願いします。

この小説は章によって登場人物それぞれの視点で描かれていて、それにより時間が行ったり来たりしているのですが、これは最終章であり肝心なところでもあります。
カレーニンとは主人公トマーシュが妻テレザに与えた雌犬です。テレザは浮気性なトマーシュのせいで彼女が元々持ってる嫉妬深い気性を更に激化させていくのですが、雌犬カレーニンによって大分癒されます。またカレーニンを通じてテレザという女性、また軽さと重さの問題を考えさせられるのです。『テレザは心と身体の和解しがたい二重性、すなわち人間の基本的経験を冷酷に白日のもとにさらす状況の中から生み出された』女性です。嫉妬はトマーシュに向けられますが、彼女は彼女自身と闘っているのが読み取れます。それはトマーシュにしても不倫相手の画家サビナにしてもそのまた不倫相手のフランツにしてもそうなのです。幸せの形は自分自身の宿命との闘いなのだと思いました。

“わたしにとって世界はとても重いのに、あなたにはごく軽いのね。わたし、その存在に耐えられないの”

『荷物が重ければ重いほど、それだけ私たちの人生は大地に近くなり、ますます現実に、そして真実になるのである。』

“あなたの人生で出会った不運はみんな私のせいなの。私のせいで、あなたはこんなところまで来てしまったの。こんな低いところに、これ以上行けない低いところに”

このトマーシュとテレザの夫婦の間には子どもはいません。カレーニンは子ども以上でした。トマーシュには前妻との間にシモンという息子がいるのだけれど、これがまた、トマーシュは彼の存在をあまり気にも留めないような感じで、息子シモンは父親に会いたいと、『母親と18歳まで一緒に住み、高校を卒業したあと大学で学ぶためプラハへ行った。この頃トマーシュは窓を洗っていた。シモンは通りで偶然会えるように、何度も父親を待った。しかし、父親は彼と話すために立ち止まることはなかった。』(P342)『僕は自分の人生と息子の人生がけっして触れ合わないように努めてきた。』(P385)という切ない設定なのです。
そして物語はその後やっと交わっていくような矢先で…
「プラハの春」という歴史的事件の後、ソ連はチェコに侵攻。行動や言論の自由が失われていく社会背景も物語に陰鬱とした不安を横たわらせています。

この人間劇のなかで、何とも愛情豊かに克明に描写されている雌犬カレーニンの最後。動物は楽園から追い出されていないものであり、ゆえに天国の住人であるということだそうです。

『創世記の冒頭に、神は鳥や魚や獣の支配をまかせるために人を創造されたと、書かれている。もちろん創世記を書いたのは人間で、馬ではない。神が本当に人間に他の生き物を支配するようにまかせたのかどうかはまったく定かではない。(中略)そう。鹿なり牛を殺す権利というものは、どんなに血なまぐさい戦争の時でさえ、全人類が友好的に一致できる唯一のものなのである。』(P357〜)

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愛鳥ユキちゃんを眺めながら、色々と思うところがあります。
ちなみに鳥は恐竜の末裔です。めちゃくちゃ賢いです。

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そして、以前に賞をいただいたシェルや母校のHPで12月の個展の案内をのせていただきました(^_^)
星2️昭和シェル石油HP⇩
http://www.showa-shell.co.jp/enjoy/art/showindividual.html
星2️広島市立大学芸術学部油絵専攻HP⇩
http://www.aburae.art.hiroshima-cu.ac.jp/index.html
お世話になった出版社さんも個展の案内をしてくださいました(^_^)
個展ではアンセムシリーズの原画も展示する予定です。
星2️チャイコの本 ブログ⇩
http://nuekoballet.jugem.jp/?eid=142

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あと、友人たちからDMを母校(大阪市立工芸高校)の掲示板に貼ってくれたり、お店に置いてくれたりしたという画像メールがきて、ありがたい限りです(≧∇≦)ありがとうございます。

久しぶりに美術科の掲示板がわりになってる廊下の壁を見て、高校時代常に、面白い展示はないか美術館の招待券はないかと探してたなぁーと懐かしくなりました。
DMを置いてくれてる友人のお店は代々木上原駅から徒歩3分のカーサヴェッキアというイタリアンレストランです。
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131811/13001836/

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画像のとおり、お店の雰囲気もすごく良くて、シェフをはじめ働く人たちも素敵だし、料理はモチロンとびっきり美味しいです。
東京近郊にいらっしゃる方は是非行ってみてください(^-^)/私のDMもあるし!画像を見たらティツィアーノの割引券も置いてあるっぽいし(笑)
皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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【 大谷郁代展 ー パステル・軽さと重さー】
会期:2016年12月7日(水)〜13日(火)
午前10時30分開店〜午後7時30分閉店
最終日は午後5時閉場
※カジュアルレセプションパーティー:12月7日(水)17:30〜
会場:日本橋三越本店 本館6階美術画廊 美術サロン
http://mitsukoshi.mistore.jp/store/nihombashi/floor/main_6f/art/schedule.html
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『存在の耐えられない軽さ』著:ミラン・クンデラ 訳:千野栄一 (集英社文庫)
第1部 軽さと重さ

永劫回帰という神話を裏返せば、一度で永久に消えて、もどってくることのない人生というものは、影に似た、重さのない、前もって死んでいるものであり、それが恐ろしく、美しく、崇高であっても、その恐ろしさ、崇高さ、美しさは、無意味なものである。P6

われわれの人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのであれば、われわれは十字架の上のキリストのように永遠というものに釘づけにされていることになる。このような想像は恐ろしい。永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある。これがニーチェが永劫回帰という考えをもっとも重い荷物(das schwerste Gewicht)と呼んだ理由である。P8
もし永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、われわれの人生というものはその状況の下では素晴らしい軽さとして現れうるのである。
だが重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?
中略)もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。
それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気よりも軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。
そこでわれわれは何を選ぶべきであろうか?重さか、あるいは、軽さか?
この問題を提出したのは西暦前6世紀のパルメニデース(前500頃ー?ギリシアの哲学者)である。彼は全世界が2つの極に二分されていると見た。光ー闇、細かさー粗さ、暖かさー寒さ、存在ー非存在。この対立の一方の極はパルメニデースにとって肯定的なものであり、(光、細かさ、暖かさ、存在)、一方は否定的なものである。このように肯定と否定の極へ分けることはわれわれには子供っぽいくらい容易にみえる。ただ1つの場合を除いて。軽さと重さでは、どちらが肯定的なのであろうか?
パルメニデースは答えた。軽さが肯定的で、重さが否定的だと。
正しいかどうか?それが問題だ。確かなことはただ1つ、重さー軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だということである。P9ー10

パルメニデースとは違ってベートーベンにとって重さは何か肯定的なものであった。“Der schwer gefasste Entschluss ”(苦しい決断の末)は運命の声(“es muss sein”)と結ばれていて、重さ、必要性、価値は内部で相互に結ばれている3つの概念であり、必要なものは重さであり、重さのあるものだけが価値を持つのである。P46